マーケット加藤’s EYE

業界待望!ゴム業界リアルタイム小説
花咲部長のアルアル業務日誌(その4)

その 『射石飲羽』の巻

作/さらしもばんび
監修/加藤事務所

昨今、受注を受けた機械の確認は発注者と製造者とをzoomでつないでおこなう。

今回は『佐川ゴム製造所』より受注したゴムの精練機械を、台湾にある機械メーカー『台南インダストリー』に発注。その機械の完成にともない、運転確認を日本と台湾を繋いでおこなっていた。

「今ご覧いただいているのが、完成したゴム精練機械です」

PCを佐川ゴム製造所に持ち込んで、富山工場長と佐川専務の前で説明するのは清水。花咲は自社のオフィスからzoomに参加してその様子を見守っていた。

「それでは、王(ワン)さん、動かしてもらえますか」

清水が現地の責任者である王社長に画面から声を掛ける。王社長はスイッチを入れ、機械はなんなく稼働し始めた。

「稼働も問題ない様なので…」

「清水さん、ちょっと待って」

清水の説明を中断させたのは富山工場長である。

「清水さん、あの機械だけど…モーターの位置が左右逆じゃない?」

「えっ?」

清水が凍り付く。Zoom上では清水の画面がフリーズしたように見えた。オフィスにいた花咲は、あわてて工作図面を確認する。

「左右逆のレイアウトじゃ、別の機械とぶつかって、うちの工場に置けないよ。以前うちの工場に来て旧機械の配置を確認してもらったよね。その時に、モーターのレイアウトは見てもらったはずなのに…」

追い打ちをかける富山工場長の指摘に、清水は相変わらずフリーズ状態。一方で花咲の頭が風車のように回転する。

『確かに図面で確認すると現物とは左右が逆だ。こりゃあ、トラブルだぞ。台南インダストリーにレイアウトの変更を依頼すれば、納期が3カ月は伸びるだろう。もちろんタダでやってくれるわけないよな…。しかも、納期遅れで生じる佐川ゴム製作所の損害も補償しなければならなくなるだろうし…これじゃ大赤字だ…』

死んだサバの目の清水と頭の回転とともに目まぐるしく瞳を動かす花咲。しばらくして、このふたりを救った人物が登場する。同席していた佐川専務だった。

「先方のzoomのカメラが左右反転(ミラーリング)してるんじゃない。『ミラーリング』をオフにすると、普通に映るはずだよ」

画面をよく見ると確かに表記された文字が左右反転している。

「王さん、『ミラーリング』をオフにしてください!」

清水の叫び声が、工場いっぱいに響き渡った。

******************

「いやぁ、佐川ゴム製造所での機械確認は焦りましたよね」

清水が安堵のため息を漏らしながら言った。

「ああ、あんな基本的なことを見落として、先方の佐川専務に助けられるなんて、ほんと恥ずかしい限りだ」

機械確認も無事に終えて、オフィスのデスクで話し合うふたり。

「ところで花咲部長、あの佐川専務って何者ですか?」

「社長の息子さんだよ。ゆくゆくはあの会社の社長になるはずだ」

「そうなんですか…どうりで若いはずだ。前途洋々ですね」

「いや、若いなりに今は苦労も多いようだよ」

「というと?」

「あの会社は現社長の佐川さんと富山工場長が肩を組んで作り上げた会社だ」

「なるほど…だから工場長とは言え、社内における富山さんの発言の影響力が絶大なんですね」

「聞いた話なんだが…現社長がもともと別の会社に就職していた息子さんを無理やり引っ張ってきて、いきなり専務に据えたから、富山工場長も面白くないらしい。佐川専務にしても、富山工場長の壁が厚すぎてやり辛いみたいだぜ」

「そうなんですか…よくある社内の確執ってやつですね」

「そんなことはともかく、他人の会社の事情には立ち入らず、俺たちは1週間後に日本に到着する機械の引き渡しに集中しよう」

「そうですね、機械を工場に設置して無事動かすこと」

「ああ、それでやっと引き渡し完了で検収だ。最後までしっかりやろうぜ」

「はい!」

******************

そして、佐川ゴム製造所へのゴム精練機械の設置の日が来た。

「花咲部長、輸入手続きもクリアして、やっとこの日が来ましたね」

「ああ、機械も無事工場に着いているし、あとは工場に入れて設置するだけだな」

花咲と清水は機械設置立ち合いと引き渡しのため佐川ゴム製造所の工場に来ていた。

そんなふたりのところに、港北重量株式会社の権田社長がやってきた。港北重量は今回の機械設置のために花咲達が依頼した馴染みの設置業者である。権田社長の表情から異常を察した花咲が先に声をかける。

「どうした?ゴンさん」

「どうもこうもないよ。当初予定していた搬入口だが、実際の機械を入れようとしたら狭くて入らない」

「えっ?」清水が叫び声をあげる。

「2か月前の現地調査の時に、入口になるシャッターのサイズ計ったよね?」

「ああ、確かにそうなんだが、実際の機械をあてるとどの方向から入れ込んでも入らない」

花咲と清水は慌てて機械のもとへ駆け込む。花咲が図面を見ながら、メジャーで機械の実寸を測るように清水に指示を出したが、計った数値を聞いて花咲が頭を抱えた。

「あぁぁぁぁぁぁ、図面より機械の幅が300㎜でかい。横のモーターカバーのでっぱりが図面上に出てなかった」

清水はメジャーを手繰りながら花咲に言った。

「ほんとですか?午後には富山工場長と佐川専務が来て受け渡しの時間ですよ。今日の受け渡しに間にあわなかったら…」

「そうだな、納期遅れで違約金と製造遅れの損害補償をしなければならない」

「また、赤字の危機ですか!」

「なんとか今日中に、設置する方法を考えなければ…」

「どうもこの仕事、機械の確認の時から嫌な予感がしていたんですよ」

「そんなことはどうでもいい。なんかいい案はあるか?」

「機械分解して幅削りましょうか?」

「いや、300㎜分稼ぐために分解するにしても、かなり大きなユニットの解体が必要だろう。素人の俺たちじゃ、手間もかかるし再組立て後のトラブルのリスクは大きい」

清水はうなずきながら黙ってしまった。花咲は港北重量の社長に向かって問いかける。

「ゴンさん、他になんか方法あるかい」

ふたりは藁をもすがる思いで権田を見つめて返事を待った。

「…俺が思いつくのは、工場側の細工だな。幸い工場側の構造や素材はシンプルなので、シャッターを外すとか、天井を外して上から吊り下ろすとか…あとは壁を壊すとか…」

そんな苦悶する3人の輪の中に突然、富山工場長と佐川専務が入ってきた。

「富山工場長!佐川専務!おっ、お早いおつきで…」

対策も決まっていない状況でのふたりの登場に、花咲の挨拶もどもり気味だ。

「いやぁ、花咲さん。新しい機械が気になってね。どう?搬入は順調?」

花咲はもはや覚悟を決めざるをえなかった。

「実は…」花咲は現状の経緯を、包み隠さず富山工場長と佐川専務に報告する。

「なんだよ、花咲さん!おたくの機械のチェックが甘いからこんなトラブルが起きるんだ」

富山工場長は厳しく花咲達を叱責した。

「で、どうするつもりなの?」

矢継ぎ早に発せられる富山工場長の厳しい言葉に、花咲は意を決してその対応策を提案した。

「搬入にかかる時間、労力、経費を考慮した結果…搬入口の隣の壁を壊して搬入させていただければと…」

「なんですと!」

「もちろん、壊した壁は設置後2~3日いただければ、当社で現状と同じに修復させていただきます」

「花咲さん、それはあり得ないよ。この工場をなんだと思っているんだ」

富山工場長の目は怒りで充血していた。

「いいかい、佐川社長と何もないところから立ち上げて、それこそふたりの人生をささげて作り上げた工場だよ」

「ええ…理解はしております…」

「陳腐な言い方だが、まさにこの工場は俺と佐川社長の血と汗の結晶だ。たかが機械の搬入を理由に、一部でもその工場に傷つけるなんて…」

「おっしゃることはよくわかるのですが、本日中に受け渡しを終えて、製品の製造を明日から開始するためには、この方法しかなく…」

「それは、お宅らの都合でしょ。機械を搬入できるよう修正して出直し…」

「壁壊そうよ。工場長」

富山工場長の言葉を遮ったのは佐川専務であった。

「えっ?気は確かですが専務」

「ええ、どう考えても壁を壊した方がお互いにメリットがあると思うのですが」

「いや、いくら専務の言葉でも従えませんな。そんな考え方は、佐川社長が聞いたら嘆くと思いますよ」

「そうですか…」

佐川専務はその言葉を聞くとプイと後ろを向いて立ち去ってしまった。

トラブルから早々に立ち去る無責任な専務の後ろ姿を、唖然として眺めていた3人。いやいや、眺めている場合じゃない。改めて対策を話し合う。

「で、花咲さんどうするんだ」

しばしの沈思黙考の後、花咲はため息をつきながら答えた。

「富山工場長のお考えはわかりました。もともと私どもの管理ミスで生じた事態ですので、工場長のおっしゃる通り、一度機械を持ち帰って…」

その時である、けたたましくクラクションを鳴らしながら、佐川ゴム製造所のロゴの付いたバンが猛スピードでこちらに向かってきた。驚いて、工場長、花咲、清水が工場の搬入口から離れる。その運転席を見ると、佐川専務がクールな顔でハンドルを握っていた。そしてバンはさっきまで議論していた工場の壁にノーブレーキで突っ込んでいったのだ。

『ドッカーン!』

ものすごい破壊音を伴って、バンは壁面に激突。バンのフロントがぐしゃぐしゃに潰れて、壁にも無残な穴が開いた。

「マサ坊!」

真っ先に叫んだのは富山工場長だった。『マサ坊』とは、富山工場長が幼いころから、実の親以上に可愛がっていた社長の息子の愛称である。このことを花咲と清水は後から知った。

3人は運転者の救出に自家用車に駆け寄る。バンの中から佐川専務が這い出てきた。エアーバッグで保護されたとはいえ、どこかにぶつけたのだろう、彼の額からわずかながら血がにじんでいた。

「おじちゃん。これであきらめもついたろう?」

佐川専務はよろけながら富山工場長に歩み寄る。

「マサ坊…こんなことに…命かけないでくれよ」

工場長はそんな佐川専務を抱きかかえるようにして言った。

「工場なんてどうでもいい…マサ坊さえ無事なら…マサ坊は俺と社長の未来なんだから…」

「なら、これからは俺の話しも、少しは聞き入れてくれるよね」

「ああ、ちゃんとマサ坊の意見も聞くよ。だから…二度とこんな真似はしないでくれよな…」

涙ながら抱き合って、お互いの無事を確かめあうふたり。

花咲と清水は身動きひとつもできず、そんなふたりの姿を眺めていた。

******************

「佐川ゴム製造所への受け渡しが無事に終わってよかったですよね」

清水の言葉にうなずく花咲。

ふたりは昼食後の休憩で、近くのコンビニのイートインで、食後のヨーグルトドリンクを飲んでいた。

「しかし、思い返せばこの仕事、なんか劇的な幕切れでしたね」

清水がズルズルとストローを吸いながら花咲に語り掛ける。

「ああ、しかも佐川ゴム製造所にとっては、今回の機械納品が世代交代のマイルストーンになったみたいだな」

「ええ確かに…その後、佐川専務は工場のSDGsやカーボンニュートラルを手掛け始めたそうですよ」

「へぇ…富山工場長の反応はどうなんだ」

「マサ坊に死なれたくないから、協力的だとか…」

「そうか…まさに『射石飲羽(しゃせきいんう)』を絵にかいたような出来事だったな」

「なんすか?『射石飲羽』って?」

「『射石』は石に矢が刺さること、『飲羽』は矢の羽の部分まで深く刺さること。だから、硬い石に矢が信じられないくらい深く突き刺さるという意味。これはつまり、集中して命懸けで頑張れば、どんな困難な壁も打ち破れるということさ」

「なるほど、佐川専務のバンが『矢』となって、工場長の心の壁を打ち破ったってわけですか…」

 その時コンビニに荒木田が飛び込んできた。

「やっぱりここに居た!」

花咲と清水はストローをくわえながら振り返り、荒い息でコンビニに飛び込んできた荒木田を迎えた。見るとその手に領収書を握っている。

「この佐川ゴム製造所接待の飲み代の領収書ですけど、社長が経費として認められないって騒いでますよ」

「なんで?」花咲の問いに荒木田が即答する。

「ただでさえ壁の修理代で利益が減ってるのに、接待なんてもっての外だって…」

その理由を聞いて、花咲も清水もため息をつかざるを得なかった。そんなふたりの様子にもお構いなく、荒木田は花咲に詰め寄る。

「月末で今日中に経費伝票を締めなければならないんですよ。どうするんですかこの領収書?」

「先方に迷惑かけたのだから接待は当然だろうに…なんとか説得できないものか…」

花咲のボヤキを聞いて、清水がヨーグルトドリンクの紙パッケージを握りつぶし、ゆっくりと立ち上がった。

「花咲部長。大丈夫、自分が社長を説得しますから」

「頼もしいなぁ…だが、どうやって?」

「とりあえず…会社のバンのキーを貸してください」

花咲は飲んでいたヨーグルトドリンクをコンビニのフロアに吹き出した。

(その四 了)

注※この物語はフィクションです。物語で起きる事件、および登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

「アルアル業務日誌」連載インデックス
その一 『周章狼狽』の巻
その一 『周章狼狽』の巻
その二 『天網恢恢』の巻
その三 『陰徳陽報』の巻
その四 『射石飲羽』の巻
その五 『含飴弄孫』の巻
最終回 『虚往実帰』の巻