加藤’s EYE

発散しよう!コロナストレス
ゴム商社マンの世界オフショット紀行⑫~狂気と幻想のアメリカ・ナイアガラの滝

この商社マンにとっては、アメリカへの出張は日常茶飯事。それは国内で仕事をこなすのと同じで、何ら特別なことはありません。しかし、本当にそうでしょうか…。アメリカという地にいる限り、しらずとその精神と感性がアメリカチックな色に染まっていることに気付いていないのかもしれません。その色とはまさに「狂気と幻想」。さあ、これから、その色に染まりながら、アメリカのいくつかの都市を訪れる商社マンの様子を覗いてみることにしましょう。


2013年10月某日

今回の出張の目的は米国五大湖に面したバッファロー市にある米国随一のゴム加硫缶メーカーに訪問である。 いつもながら、成田空港から米国の空港について、すぐにレンタカーを借りた。最近はレンタカーにナビゲーションシステムをオプションで追加して走るので、昔みたいに地図を見ながら走らなくていいので楽になった。ちなみに米国のレンタカーではナビはわざわざ注文しないと付いていない。それは通常はみんなスマートホンのナビを使うからなのだそうだ。さすがアップルの生誕の国らしい。

さて、出発。エンジンをかけて、ナビを起動する。時差があり、日本時間の真夜中なので、眠いが、そうも言ってはいられない。米国駐在員時代を思い出して、道路は右側通行と唱えながらハイウェーを走る。しごく当然ではあるがナビは英語で指示してくる。“NEXT EXIT TURN LEFT”なんて慣れない指示の声に遅れまいとハンドルを操作した。

周知の通り世界共通でナビ声は女性だ。日本のナビは無機質で機械的な声。欧米のナビの声は誰をモデルにしたか知らないが、何となく女性の柔らかさが残る聞き心地。疲れた目で運転をする自分にとっては、その声がセクシーに聞こえたことがせめてもの救いだ。

バッファロー市のゴム加硫缶メーカー仕事を終えた。次の仕事地はシカゴ市だ。空港へ戻る道のりを確認しようとナビを起動した。ナビは起動したものの、画面がなかなか立ち上がらない。故障なのか?なにも日本製が特別とは思わないが、外国製品への不信感が首をもたげてくる。

すると、あろうことか突然、ナビが勝手に話し始めた。

『シカゴの仕事まで、まだ時間はたっぷりあるんじゃないかしら』

それは、以前とは打って変わって、甘く何かおねだりするような声だった。驚きのあまり、絶句する自分。ナビは、そんな自分にしびれを切らしたかのように、繰り返し自分に語りかける。

『まだ時間はあるんでしょ』

まるで、助手席に座った女性が別れを急ぐ自分を諫めるような問い。自分はそれに答えなければ失礼な気分になった。

「そうですけど…。別に行きたいところはないし…」

『だったら、ぜひここに寄りましょうよ』

ナビは、バッファローから30分くらいのところにある「ナイアガラの滝」へのルートを示した。

いつの時代でも、どの国でも、男は助手席に座っている女性の誘いは断れない。戸惑いながらも、住友ゴムのタイヤ工場の脇をハイウェーですり抜け、ナビの示す道に車を走らせて行く。

ナビは、目的地への道すがら、いろいろなことを話しかけてくる。

『これから行くナイアガラの滝はね、世界三大瀑布のひとつ。とても壮大なの』

「それぐらい知っていますよ」

『でも壮大すぎて、樽の中に入って滝を落ちる冒険をする人が後を絶たない。それで死ぬ人が毎年大勢いるのですって』

「そうなんだ…樽の中に入って滝から落ちるなんて、自分には想像できないな」

『人の人生は短いし、やり残したという思いを持ってお墓に入りたくないってことじゃないかしら』

「やり残した思いか…ああ、そういえば数年前にブラジルとアルゼンチン国境にある世界三大瀑布のもうひとつ「イグアスの滝」まで、あと20KMのところの場所に仕事で行ったのだけれど…あの時にイグアスの滝を見に行っておけばよかったかな」

『フフフ…そんなこと、人生にやり残したっていう部類には入らないわ』

ナビに笑われるなんて初めての経験だ。

やがて、滝に近づくと滝は10㎞先だが、滝の付近で霧が発生していて、空に舞い上がっているのが見える。

「あそこがナイアガラの滝だよね」

いつのまにか今度は自分がナビに話しかけていた。

『そうよ』

「それにしても、すごい霧だね」

『ええ、こんな北にある寒い場所なのだけれど、滝つぼの先は凍っていたとしても、「ナイアガラの滝」は決して凍らないの』

「一年中この霧か…どこも濡れそぼっていて、こんな場所に住むのは大変だろうな」

『でもね、カナダ側の滝の下流にワインの畑があるの。滝で巻き起こる霧が、とっても美味しいワインを育てるそうなのよ』

到着すると車を降りて近くまで行ってみた。

「ナイアガラの滝」はアメリカ側とカナダ側の滝がある。10月なので水量が多い。迫力満点。船で滝つぼ近くまで行くと、しぶきでほとんど豪雨の中にいる状態。アメリカ滝の下側の近く遊歩道があるのだが、真上から大量の水を落ちてきて、なんだか怖い。

壮大な落水を見ながら、あらためて樽の中に入って滝から落ちる人々を思った。滝から落ちることを『やり残したくない』と思う人々はまったく理解することができないが、命を賭してまでやり残したくないと思うようなことが、自分にはあるのだろうかと振り返ってみる。大瀑布を前に、漫然と人生を消費する自分に切なさを感じるなんて…。

やがて、次の仕事の時間も迫ってきたので、滝から離れることにした。車に戻る途中の売店で、ナビが言っていたワインを買った。

次の仕事地はシカゴである。バッファローからシカゴまではローカル線の飛行機でいく。レンタカーを空港に戻しに行く道すがらでも、ナビはその甘い声でいろいろなことを話してくれた。

やがて空港に到着すると、レンタカーのエンジンを切る前に思い切って聞いてみた。

「今日一日、ありがとう…もし差しつかえなかったら、名前を聞いてもいいかな」

ナビはちょっと躊躇したように間を空けたが、恥ずかしさでその甘い声を僅かにかすれさせて答える。

『…私の名前はナビア』

「ナビア…また、会えるかな…」

『もちろんよ。あなたがアメリカでレンタカーを借りて、そこにナビがついていたら…きっと私はそこにいるから』

アメリカは刺激的で自由。だからいろいろなことが起きる。現実なのか、幻想なのか。その境目をこの国の誰が分かっているというのだろうか。まさに「狂気と幻想のアメリカ」といわれる所以がそこにある。次の訪問地シカゴでみる現実と幻想に胸を膨らませて、怖い様な楽しい様な気分で飛行機のシートベルを装着した。